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ブチギレた後に『言い過ぎた』という心の痛みの中に神様がいる

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この前ユーチューブで、生まれつき知的障害と自閉症を持った子供を持つ家族のドキュメンタリーを見ました。

 

子供は男の子で18歳で、18歳だけど24時間誰かの介護がないと生きていかに。

 

トイレにも自分では行けない重度の知的障害を持った人です。

 

彼の両親は、母親と父親で24時間ほぼフルタイムで彼の面倒を見てあげてるんだけど、

 

父親は介護のために正社員のフルタイムの仕事は辞めなきゃいけなくて、早朝や夜勤など時間の融通が効くバイトを掛け持ちして仕事をしてたんですよ。

 

私は非常に可哀想に思った。

 

でも、彼の母親が動画の中でこういう風に言ってたんですよ。

 

私は彼を愛してるけど、あまりにも彼が言うことを聞かないと、本当に怒ってしまって、手が出てしまうこともある。怒ってるときは本当に彼が憎くて仕方がない。でも叱った後は心が痛むし愛してるけど、私たちはもう面倒みれないかもしれない。私か主人どっちかが倒れてしまう。

 

私はこの話を聞いて、とある本を思い出したんですよ。

 

それが、これなんだけど。

 

 

この本の中に、こういう言葉が書いてあるんですよ。

 

例えば、僕たちが何かにイラついて人に怒ったりするとき、子供だろうが、親だろうが、恋人だろうが、自分が怒ってるときはやっぱり本気で怒ってて憎いと思っているものです、でも、そうして叱った後というのは、胸が痛んで非常に暗い気持ちになったりする。「ああ、ちょっと言いすぎたかな」「ちょっと嫌な言い方をして、かわいそうなことしたな」と。それで、その「痛み」ということの中に、神様はいるはずだ

 

こう言う本を読んで、とても勉強になるなと思った。

 

僕は元々神様は信じていないのだけれど、ぶっちゃけ神様って、名前や個体があるんではなくて、

 

このような、誰にでも認識できる「ある存在」でないかなとか思ったりするんだよね。

 

ある意味哲学とも言えると思います。

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藤沢瞭介(Ryosuke Hujisawa)

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