人生お悩み

生きてると『見立ての良さ』ってつくづく大事だなと思う話

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私は、人生を生きていて「やっぱ見立ての良さって大事だな」と思うことが多々あります。

 

見立てっていうのは、goo国語辞書には、下記のように書かれているわけだが、

 

  • 見て選び定めること。選定。「妻の見立てによるネクタイ」
  • 病気を診断すること。また、その結果。「医者の見立て」「見立て違い」

 

パッと一瞬見ただけで、物事の本質が掴める力だと思っています。

 

過去に二十歳くらいのときに病気になったんですけど、なんだか息が苦しくて、胸が重たくて、重大な病気かと思って散々病院に行ったけど、

 

どいつもこいつも、異常がないだの精神的なものだとか言って、

 

一般的な検査で異常が見つからないと、症状に対して極めて適当な対応をされて誠に不快な思いをしたことがあります。

 

それで、症状が出るたびに何軒も病院をハシゴして、ようやくその症状が喘息の一種だと知ったとき、

 

喘息の顕著な症状ではなかったために、大概の医者が原因をズバッと特定できなかったわけです。

 

こんな簡単なことを症状から見破れる医者が、なんでこんなに少ないんだろう?って当時思って、

 

やっぱ見立てのいい人って少ないんだな?って当時思って、

 

自分の命は全力で自分で守ろうと心に固く誓った日でありました。

 

見立ての良さというのが大事なのは、ビジネスや、自分のキャリアの選択にも現れると思っています。

 

  • 自分が毎日やっていることに果たして価値があるのかどうか?
  • 本当に自分の毎日の積み重ねは意味があるのかどうか?

 

見立ての良さが問われる局面なのかなって思っています。

 

話が少し一気に変わりますが、

 

1990年代から2000年代にかけて、インターネットというもの本質的な価値を見立てることができた人は、

 

思いっきりに莫大な投資をリスクを背負って投げ込むことが出来ました。

 

それは、インターネットやパーソナルコンピューターの時代を、予見できた見立ての良さの功績だと思う。

 

なんだか良さそうだな?将来性がありそうだな?

 

程度のことではなく、全てをわかって上で、凄まじい価値があると分かっていることが、リスクを取り続ける源になれる。

 

僕は、自分の見立てがあまり良い方ではないことを、心の底から悲しく思うことはよくあります。

 

例えば、2018年くらいからブログをやっているけれど、

 

ブログというものが、自分にとってどれほど大切なメディアなのか、当時は分かりませんでした。

 

見立ての良さがなかった為に、webのメディアを頑張るということが、最終的にどこに行き着くのか、まったく先が見えませんでした。

 

2020年くらいになって、ようやくWebやブログの価値を握りしめることが出来て、今こうやって頑張れていますが、

 

周りを見渡してみれば、オウンドメディアにしろ、アフィリエイトにしろ、

 

遥か昔からその運営価値に気がついて積み重ねている人々には大きな差を開かれてしまって絶望などしたりします。

 

見立ての良さが、そういう人たちにはあったんだなって。

 

今後、将来はどんな新しいテクノロジーが人々の日常生活を変えていくのかはまだ分かりません。

 

でも、なんらかのテクノロジーが、人々の日常生活を変えていくのは変わらない事実だと思います。

 

だからこそ、自分がフルコミットできる領域で、新しいテクノロジーを活用して、絶対に変わらない人々の欲求にフォーカスできる何かに、

 

自分もチャンスに対する見立ての良さを磨いていきたいと思います。

 

いくら、無駄な方向に努力しても結果は出ない、見立ての良さがあれば、より少ない努力で、より多大な成果を出す生産力なのかなって思っています。

 

では、今日は以上になります。

 

(*今日の話のアイディアを様々な側面から頂いた良書を二つほど紹介します)

 

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藤沢瞭介(Ryosuke Hujisawa)

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