大人になると「見た目だけ良い」人が一番最悪だという話

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私が高校生の頃、私が通っていた高校って、物凄く目には見えないルッキズムがあって、たまたまそこは芸能人とか通ってた学校だったんで、学校の中での見た目ヒエラルキーが、凄く高い場所だったんですよ。

 

昔を振り返ってみれば、当時、僕みたいな持たざる凡人が、高校生くらいの一番モラトリアム期を炸裂させてるときに、ああいう絶対階級社会みたいな環境にぶち込まれるのは、本当に苦しかったなって思うわけだが、

 

でも、だからそのせいで、少なくとも私は、見た目の良さって力なんだなと思い込んでしまって、見た目の良さが全てなんじゃないかって勘違いしてしまってた時期があります。

 

まあ、そんなことは、大人になればなるほど「そんなわけねえだろ(爆)」と気が付けるようになったし、いかに自分がクソ狭い帰属意識の中で視野が狭まっていたのか、今なら分かるのだが、見た目の良さに重きを置く人が、若い人に多いのはめちゅ共感できるわけです。

 

誰しもが、自分を認めてほしいと思っているし、最も手っ取り早く、なんの能力も磨いてない凡人が、そのような承認欲求を見たせるツールが、見た目の良さだったりするわけですよ、だって子供の頃から、黙っていても見た目がいい人はちょっとくらい人気者になりますからね。

 

それで、そういうのを子供の頃から目の当たりにしてたらさ、誰だって「俺だってイケメンがいい」「私だって可愛く綺麗になりたい」と錯覚してしまうわな。

 

だけれども、大人になればなるほど、見た目だけ良いって一番悲惨で、持ってるだけで年々若さは衰えていくし、昔は皆んながチヤホヤしてくれてたのに、どうして周りの反応が、、、歳を経る毎に落ちていくギャップも相まって最悪な気分になることに気がつくことになる。

 

承認欲求って、基本的に満たされ続けないと不満が漏れ出してくるもので、見た目の良さに軸足を置くと、褒めてくれる人が周りから消えると困っちゃいますよね。

 

だけれども、通常運転で成長をしてる人間っていうのは、少しくらい心が乱れても、我慢できます、耐えられます、それで仕事や学業を通して、自分の実力だったり価値っていうのを磨けるようになるんですよ。

 

自分の本当の実力が、認められることが、本当の承認欲求を満たしてくれる、そんで、そういう状態って、ベクトルの方向が他者ではなく自分に向いてるので、どんどん頑張り屋さんになっていって、どんどん成果も出るから楽しくなって、見た目なんてどうでもいいやってレベルに思えてくるんですよ。

 

私は、見た目の良さって武器の一つくらいにしか今は思ってなくて、確実に、見た目がいい人よりも、頭がいい人の方が人生は得すると思っているわけですけれども、例えば数学が得意だとか、スポーツ万能だとか、喋りが上手だとか、見た目の良さって、そういうものの中の一つでしかないと思っているし、

 

見た目がいい人は、凄く運がいい人で恵まれてると嬉しくなって勿論良いし、本当の実力者や能力者が「見た目も良い」ってなると、それこそ、その見た目のよさは、実際に恐ろしい力を帯びて炸裂しだすので、怖いんだけども、

 

別に見た目がいいだけで勝ち誇ってると人生の後半戦で痛い目を見るぞと思うし、逆に、見た目なんか別に普通の人でも、実力や能力がつけば、どんな見た目の人でも信じられない人の数から尊敬されるし、敬われるし、なんなら、ちょっとくらい整形すれば誰だってそこそこになるんだから、そんなシリアスに受け止める必要ないぞって思うし、

 

大体からして、本当に自分が磨きたい能力だったりスキルが、見つかったら、心理的安定って必ず訪れるし、見た目の良さに対するプライオリティって絶対90%の人は下がると思うんで、心配不要って思っています。

 

今日は以上です。

藤沢瞭介(Ryosuke Hujisawa)
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