エッセイ コラム

美人でも結局、普通に働いてたら『綺麗ですね』と言われるチャンスなど滅多にない件について

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僕は一時期、自分の見た目の良し悪しについて、ずいぶん真剣に考えてたことがあるんや。

特に十代の後半とかは、その傾向が顕著やったんやけど、どうやったら、よく知りもしない人から、カッコいいねって思われるのか、かなり真剣に検討しとってん。

勿論、そんなことより自分の見た目が醜くなっている錯覚に陥って、大変に困っててんけど、

まあ、いずれにしても、多額の金銭的な投資もして、よく知りもしない人から、カッコいいねって思われるために、頑張っとったんや。

でも、ある時期から、そんなことを続けてどうなるんやろって、様々な思考の末にたどり着いたんや。

当たり前の話やねんけど、いくら僕が自分の財産を突っ込んだところで、僕はリバーフェニックスには、なれへんわけやろ。

手も足も長くならへんし、神様はどうして僕の頭蓋骨を、もう少しこう小さく立体的にしてくれへんかったんやろって、恨んでも仕方あらへんねん。

大昔やねんけど、学生の頃に、僕は佐藤勝利くんとか、京本大我って人を間近で見たことがあってな、

当時としては、不幸せになるのは恐ろしく簡単やなって痛感したんや、人と比べればええねん。

天は二物を与えずって言葉があって『天は一人の人間に、いくつもの長所や才能を与えてはくれない』っていう意味やねんけど、

あの言葉は真っ赤っかな嘘やで。

本当に才能が豊かでいいですねって子供心にアイデンティが崩壊したっていうか、あれほど世界を呪った経験はなかったで。

まあ、逆に言えば、そういう不平等は僕に『なんやねんくそ!』って反骨精神を育ててくれたわけやから、言ってしまえば、彼らもマイナスな恩人やったわけやけど、

ぶっちゃけ綺麗事を抜きで言わせてもらうと、見た目がいい人っていうのは、恋愛に限らず、人に対してアプローチしたら成功率が上がるわけやん。

脳科学の世界でも実証されてんねん、アナウンサーの女性は見た目がいい人が多いねんけど、あれは、見た目がいい人が何かを話すと信憑性が上がるからやねん。

世の中ホンマに不平等やって思う気持ちもわかるで、だって見た目の良さなんて、ご両親の功績であって、本人の実力ちゃうやん。

いくら整形しても、手も足も伸ばせへんし、顔の大きさや、立体的な骨格、肩幅、首の長さも全然変えられへんねん。

まあ、せやかて永遠に腐っててもアカンし、今となれば、もっと君が手にしたいものが、他にあるんとちゃうん?って今は過去の自分に言いたいです。

見た目というのは、非常にパワフルやし、見た目が良いことはバリュー(価値)やと思うんや。

きっと、よく知りもしない人からモテたりすると思うし、

自分かて、綺麗な人を拝見させてもらうと、テンション上げていただいて、有り難いって思うわけやん。

僕がよく行くカフェには、綺麗な店員さんと、太ってる男性が働いてんねんけど、綺麗な店員さんが、笑顔で僕にコーヒー渡してくれた方が、俺かてガキみたいにウキウキすんねん。

んーー、でもなんて言えばいいのか難しいねんけど、そのカフェには、綺麗な店員さんが三人おんねん(笑)

僕からしてみると、綺麗な人やったら、別に三人のうちの誰が来ても有り難い気持ちになんねん。

つまり、別の言い方すると、誰でもええってことやねん。

つまり、めっちゃ表面的やねん。

しかも、一番重要なことやねんけど、僕は彼女たちに、

『鳴呼、非常に綺麗な見た目をされてますね、いつもコーヒーもらって感謝です、ほんの少しだけ、1日が明るくなります、合掌』

なんて口が裂けても言わへんわけやろ。

愛想もよくしないし、笑顔も返さへんし、ただ心の中で少しだけテンション上がるだけやねん。

せやから、どんなに見た目が良くても、多くの人は、あんまり自分の見た目が良いことを知ることが出来へんねん

わざわざ知りもしない人から『あんたの見た目はめっさ綺麗やん』なんて強く望むならば、キャバクラかホストクラブで働けゆうことやねん。

それかTikTokかYouTubeで無意味に人気目指さなアカンねん。

第一、そもそも突然そんなこと言われても『本当はなんとも思ってへんやろ』って感じるし、

かといって、そんなことを言われなくなると、不満を覚えてしまって、もう人間の欲望は意味不明やねんw

https://youtu.be/OIDETsGWxH0

『太宰は、人の褒め言葉には満足できない、同時に人の悪評には耐えられない。針で刺されたのを、鉄棒で殴られたように思うのが太宰の性格だ』

太宰治のようにならないように注意がマジで必要だと思う、

せやから、結局、他人からの評価では見た目で幸せを勝ち得ることは不可能やねん。

てか、むしろどうでもいい人から沢山好かれて、重要な人にどうでもいいみたいに扱われる方が、理想と現実のギャップに、傷つくことになんねん、それも自分で自分が綺麗だと思っとる人のリスクや。

他者に依存することは、そこまでリスクある生き方やねん。

それに、全ての人は見た目にはタイプがあるのを知っていて、ぶっちゃけブラットピットみたいな人が好きな女性が、ジャニーズジュニアみたいな男を見てもなんとも思わへんことも事実やしな。

ちなみやねんけど、仮に僕が見た目をよくすることを超絶に頑張ったところで、

  • 将棋みたいに勝ち負け白黒、誰かが付けてくれるんか?
  • 誰かが俺をいつも褒めてくれるんか?
  • 誰かが俺に金を納めてくれるんか?
  • 誰かが俺のために1日、大切な命の時間をくれるんか?

全然ちゃう。

しかも、最悪なことに、いくら見た目の良さを極めようとしても、年齢を重ねると、誰であろうが老いぼれて価値が下がっていくという衝撃的な事実があるさかい、

もし見た目の良さに価値を置いてしまうと、一瞬でそれは資産ではなく、負債になってしまいますから、それも自分で美人を極めてる人のリスクです。

(なぜ、こんな考えが根付いたと問われれば、多分、負債と資産の違いを、この伝説のクラシック本から学んだからです、超おすすめ)

金持ち父さん貧乏父さん | ロバート キヨサキ

んー、なんかおかしなこと言い始めてないか不安になってきてんねんけど、

つまり、見た目がいいからってスペシャルにならへんねん、周りの態度は変わらへんねん

でも、自分で自分が綺麗だと思ってる人は、たまに、周りの態度がなんで皆んなと同じなんって自意識過剰になってしもうたりして、また傷付いたりすんねん。

何度も繰り返しになってしまうけど、自分の見た目が良いか悪いかなんて、いつも確認できるもんとちゃうねん、周りの態度は何も変わらへんねん。。

周りから褒められても、実際は嬉しくないねん。

だから、そんなものに拘泥してると、不幸になるねん。年齢を重ねるごとに不幸のレベルも上がっていくねん。

結論をまとめますと、結局、見た目っていうのは、スポーツや化学や、エンジニアリングみたいに、極みを目指すものじゃないってことです。

もちろん、不潔な状態から清潔な状態になれば、キモがられたりする確率は限りなく減るわけど、

でも他方で、そんなことは、わざわざ極みに達しなくたって、ユニクロの服のカッコよくきめて、風呂入って歯を磨いて清潔にしておけばそれですむ話や。

多分これは、病気に対する姿勢にも似てると思うんやけど、最低限の対策だけは毎日ちゃんとして、あとは何も気にせず、過度に入れ込まないって言うのが一番、健全やねん。

ちょっと話しがずれるけど、僕は難病系の動画とか、余命宣告系の動画とか、末期癌系の動画とか、そういう情報は一切入れません、ネガティブな観念が入り、自分の心にそういう悪しき観念がインセプションされ、逆に病気を呼び寄せる気がするからです。

長くなってしもうたけど、最後に、僕の好きなトレードの本の一節を紹介します。

"彼らはどのようにマーケットを研究すれば儲けられるかを考えている。トレーダー的思考法を習得しようとは考えていないのだ。ほとんどの人がこのワナに落ちる。「マーケットについて知らないことがあるから損をしてしまう。だから一貫した結果を残せないのだ」と考えてしまい、多くの心理的要因を安易に扱ってしまうのである。 しかし、事実はまったくそうではない。私たちが探し求めている一貫性は、自分の心のなかにある。マーケットのなかにはないのだ。"

以上、ありがとうございました。

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雑談系ユーチューバーやっています。もしこの回答が気に入っていただけたら高評価お願いしますm(_ _)m

https://youtu.be/3V4iH6EpPMQ

 

https://off.tokyo/blog/how-to-make-gf/

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